前回 の続き
※このシリーズ記事は、「店(主にスーパーなどの小売や飲食系)によって、なんでこんなに雰囲気に差があるんだろう」という疑問から始まった調査メモです。
前回は、店の雰囲気は内装やマニュアルだけで完成するものではなく、誰かが小さな異変を見つけ、対処し続けることで保たれているのではないか、という結論になりました。
この「誰かが気付く」というのは、店以外でも同じような場面があります。
会議が終わったあと、机の上に残った資料を片づけ、ずれた椅子を戻す人がいます。共有の備品が減っていれば、なくなる前に補充する人がいます。会話が妙な方向へ進みそうなとき、話題を変えたり、あとで誰かをフォローしたりする人もいます。
その人たちは、毎回頼まれて動いているわけではありません。「このままだと次の人が困る」「ここで何か言った方がよさそう」と、書かれていない状況を読んでいます。
こうしていろいろな場面を考えると、世の中は、「雰囲気を読める人」がいることを前提に設計されているように見えてきます。
これは、私がこれまでにいた職場や、店や、日常の小さな集まりから感じただけのものです。実際にそうかと言われれば、まったく確信は持てません。
今回はこの思いつきが、どこまで現実に当てはまるか、どこからが私の思い込みなのかを探りながら考えてみます。
調査メモ① 書かれていないルール
そもそも、すべての決まりを文章にすることは難しいです。できたとしても、わざわざ書くほどでもないと感じることが多くを占めるでしょう。利用規約のように細かく書くわけにはいきませんが、「これは当たり前のこと」だと省く匙加減はまちまちです。
初めて入ったセルフサービスの店で、注文の順番や食器の返し方が、細かく説明されていなかったとしても、先にいる人が列に並び、食べ終えたトレーを返却口へ運ぶのを見れば、自分も同じように動けます。その場に慣れた人にはわざわざ書くほどでもない「いつものやり方」を、初めて来た人は、周囲の行動から「ここでの普通」として読み取っています。
周囲から「普通」を読み取るとき、私たちは、目の前にいる人の動きだけを見ているわけではありません。その人たちが残した「場の状態」も手がかりになります。
ポイ捨てに関する実験では、病院の駐車場を、ゴミのない状態と、地面にゴミが散らばった状態に分けました。そこに戻って来た人の車にはチラシが挟まれており、そのチラシをその場に捨てるかどうかを観察しました。結果、すでに散らかっているときの方が、チラシは捨てられやすくなりました。場の状態が、「ここでは、ほかの人も捨てている」という無言の案内になっていました。[1]
このように「目の前で多くの人が実際にしていること」と、「おそらく多くの人はこうしているのだろうという想像」の2つの手がかりがあります。周囲の行動と場に残された痕跡、その両方を推測しながら、ここではどう振る舞えばよいかを決めています。
こうした無言の案内は、同じ前提を共有している人たちのあいだでは便利です。「言わなくても分かるだろう」「そこは察してほしい」で、毎回ゼロから説明しなくても場が動くからです。
問題は、同じ前提を共有していない人が現れたときです。
初めて来た人には、どこまでが規則で、どこからが常連だけの習慣なのか分かりません。分からない人が悪いのか、説明しない側が悪いのかも曖昧なまま、気まずい空気が流れていきます。
調査メモ② 「読む仕事」は仕事に見えにくい
雰囲気を読む人は、問題が起きそうなことへ先に反応します。
足りなくなりそうなものを補充する。忙しそうな人の仕事を少し引き取る。発言しにくそうな人へ話を振る。揉めそうな相手には言い方を変える。
それらの小さな行動により、補充切れも、衝突も、深刻な遅れも起きません。起きなかった出来事は記録しにくいので、特に問題のない一日になります。
職場では、本来の担当を超えて行われる自発的な行動が、暗に期待されたり、評価されたりすることがあります。そのような「よい社会人」でいることへの圧力は、仕事と生活の衝突、ストレス、離職意図などと関連しています。[2]
誰かの小さな親切がうまくいくほど、仕組みの不足は見えなくなります。最初は親切で片づけていた人も、毎回その人がやるようになれば、周囲からは担当者に見えてきます。正式な役割ではないので、時間も権限も増えません。やるのが当たり前で、やらなかったときだけ「今日はどうしたのだろう」と思われます。
お天道様が見てるから云々、というのは、こういった行為に対する常套句ですが、自然にやってしまう本人にとっては、あまり適切な例えでも慰めでもありません。気づいてちょっとやれてしまうようなことは、大抵、やっても何も起きていないように見えることです。何も起きないので、誰かが読んで動いたことも気づかれにくいです。
調査メモ③ 黙っていることは、問題がないわけではない
「読める人」はみんな静かで、文句を言わず、限界まで耐える性格なわけではありません。
よく気づく人が、そのつど声を上げることもあります。反対に、困っていても何も言わない人が、必ずしも場を読めているわけではありません。何を言えばよいか分からない、言っても変わらないと思っている、面倒な人だと思われたくないなど、黙る理由はいくつもあります。
声を上げるかどうかは、本人の性格だけで決まるわけではありません。「上司の前で恥をかかせてはいけない」「証拠が揃うまでは言うべきではない」といった、暗黙の思い込みがあると、問題に気づいても、発言すること自体が危険または不適切に感じられます。[3] 言っても状況を変えられそうにない。上司との関係を悪くするかもしれない。周囲も受け止めてくれそうにない。そうなれば、問題に気づいていても、黙る方を選んでも不思議ではありません。[4]
少し傾いた床の上で、片足に力を入れてまっすぐ立っている人を想像してみます。その人が上手にバランスを取っているあいだ、遠くから見たら、床にも人にも問題は無さそうに見えますが、立っている人がその場を離れたとき、次にそこに立った人が傾きに気づきます。
「立つのがつらい」と言わないかぎり、床を直そうという話にはなりませんが、言ったところで変わるかはわかりません。加えて、本人が声を上げにくい理由まであるなら、「特に困っている人はいない」という判断だけが残ります。
黙っている人を見て、組織側が「読んでくれる」ことはほとんどなさそうです。誰かが自分の中で処理してしまえば、組織の記録上は、最初から問題などなかったことになります。
静けさは、秩序の証拠にもなります。しかし、諦めで音が立たなくなっただけなのか、その静けさからはわかりません。
調査メモ④ 読みやすさは、人と環境の組み合わせで変わる
ここまで「読める人」「読めない人」と書いてきましたが、二種類の人間にきれいに分けられるわけではありません。
場を読む行為には、これまでの経験、注意の向け方、その場での役割、過去に叱られた記憶、今の感情、相手との関係など、さまざまなものが混ざっています。同じ人でも、慣れた職場では先回りできるけど、初めて入った店では戸惑うこともあるでしょう。
「読めるかどうか」は、その人固有の性質というより、その人と環境との組み合わせで変わるものです。
私個人としては、雑然として自由な場所より、ある程度きちんと整った場所の方が落ち着きます。店に入ったら先に席を取るのか、レジへ並ぶのか、店員に声をかけるのかが、見ただけで分かる方がいいです。決まった手順に従えばよい場所では、周囲の様子を観察して正解を探さずに済むので、空間を読み解くために使うエネルギーが少なくて済みます。
しかし、整った空間が、すべての人を楽にするわけではありません。商品が美しく隙間なく整列していたら、手に取るのをためらいそうです。きれいに手入れされた芝生は、立入禁止と書かれていなくても、本当に踏み込んでよいのか迷います。沈黙が保たれた場所では、咳や椅子を引く音まで周囲に気をつかいます。秩序を強くしても空気を読む必要がなくなるわけではなく、その秩序を乱していないか、別の空気を細かく読むことになる場合があります。
誰かにとって分かりやすい秩序が、別の人には「良い客」「良い社員」としての振る舞いを求める圧になることがあります。[5] 反対に、誰でも好きにしてよい場所は、自由であると同時に、何が起きるか分からない場所でもあります。
もし、社会に「読める人」を前提に成り立っている部分があったとしても、それは特定の人にだけ負担を強いているわけではありません。
余談 「読めない人」がルールを見えるようにする
これまで共有されていた空気を読まない人が現れると、書かれていなかったルールが姿を現します。
「会議室の使用後は椅子を元に戻してください」
「傘の取り違えにご注意ください」
「ここでの通話はご遠慮ください」
最初から決まりとして存在している場合もあるでしょうが、誰かがそれまでのやり方から外れたことが観測されて、初めて文章になったものも多いはずです。
新しく来て前提を知らない人もいます。別の場所では違うやり方を学んできた人もいます。分かっていても、そのルールは不合理だと考えて従わない人もいます。単に気づかなかった人もいます。それらを全部「鈍感な人」にしてしまうと、場に合わない人を悪者にするだけで終わってしまいます。
「なぜ、そうするのですか」と聞く人が現れることで、古くからいる人も説明できなかったルールが見つかることがあります。それにより、明文化する必要があるのか、なくしてよい慣習なのかを考えられるようになります。
暗黙のルールを見える状態にするのに、ただ文章にすれば終わりではありません。なぜそのルールが必要なのかを伝え、守られなかったときに誰かが反応するところまで決める必要があります。
ここまでのまとめ
書かれていないルールは、便利な省略です。相手の様子を読み、少し先回りできることには、配慮や共感という肯定的な面もあります。
その省略を成立させるための観察、判断、調整は、いつも同じ人へ偏りがちです。「読んだ」ことで起きなかった問題は記録されず、黙っていることは同意と間違えられ、結果は目立たない。
社会は、雰囲気を読める人が存在することを前提に、かなりの部分が成り立っている。それは秩序を保つ一方で、特定の人にだけ負担を集中させる構造だ。というのはさすがに言い過ぎですが、そうも言いたくなってしまいます。みんな均等にバランスよくなんて無理なのはわかるけどさぁ、もっとこう……ねぇ?
次回予告
最初の疑問、「店によって、なんでこんなに雰囲気に差があるんだろう」の裏には、「私は、この特定の雰囲気を嫌だと思っている」「そして、それを可能な限り避けたい」という気持ちがあります。
理由はわかってきたけど、全体的にどうしようもなさそうなので、その気持ちへの答えは「そういう店に行かないようにする」くらいしか思いつきません。一個人としては自己防衛方向に舵を取ることしかできなさそうです。
では、この構造の中でどう距離を取れば、摩耗せずにいられるのでしょうか。どこでも適応できるように努力するのではなく、合わない場所にはできるだけ近づかないようにする。それは逃げなのか、それとも生存のための判断なのか。
次回は、うまくバランスをとりながら社会と付き合っていくことは可能か考えてみます。
シリーズ一覧
#02.5 | なぜ「注意貼り紙」が多すぎる店は荒れて見えるのか
脚注
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Robert B. Cialdini, Raymond R. Reno, Carl A. Kallgren, “A Focus Theory of Normative Conduct: Recycling the Concept of Norms to Reduce Littering in Public Places,” Journal of Personality and Social Psychology, 58(6), 1990, pp. 1015–1026. https://doi.org/10.1037/0022-3514.58.6.1015
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Mark C. Bolino, William H. Turnley, J. Bruce Gilstrap, Mark M. Suazo, “Citizenship under Pressure: What's a ‘Good Soldier’ to Do?,” Journal of Organizational Behavior, 31(6), 2010, pp. 835–855. https://doi.org/10.1002/job.635
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James R. Detert, Amy C. Edmondson, “Implicit Voice Theories: Taken-for-Granted Rules of Self-Censorship at Work,” Academy of Management Journal, 54(3), 2011, pp. 461–488. https://doi.org/10.5465/amj.2011.61967925
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Elizabeth Wolfe Morrison, “Employee Voice and Silence: Taking Stock a Decade Later,” Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior, 10, 2023, pp. 79–107. https://doi.org/10.1146/annurev-orgpsych-120920-054654
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Amy L. Kristof-Brown, Ryan D. Zimmerman, Erin C. Johnson, “Consequences of Individuals' Fit at Work: A Meta-Analysis of Person–Job, Person–Organization, Person–Group, and Person–Supervisor Fit,” Personnel Psychology, 58(2), 2005, pp. 281–342. https://doi.org/10.1111/j.1744-6570.2005.00672.x
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