EVERYDAY LABELSというアート・デザインプロジェクトについて、ある程度形になってきたので、ここまでを振り返りつつ経緯、思ったこと、感じたことをまとめてみます。

EVERYDAY LABELSは、日用品のラベル、注意書き、成分表示、そういう「見えているけれど、あまり読まれていない文字」を主役にしたアート・デザインプロジェクトです。

……と書くと、最初から計画通りのようですが、実際には行き当たりばったりでした。

きっかけは、無職化 → なんか普通に働かないで済む方法ないかな~ → 副業系情報を漁る → とりあえずなんか試してみっか、と海外向けのPODグッズショップを勢いで始めたことです。
デザインを作って、商品にして、ショップに並べる。最初はそれで形になると思っていました。

しかし、いざ並べてみても、何かしっくりきません。

「これはですね、『あえて』説明しないで置いてあるんですよ」
そんな言い訳を頭に付けた作品が成立するのは、すごそうな人だけです。

「売っているもの」だけでは足りないようだ

私はデザインやアート、マーケティングの教育を受けたり、そういった業界に所属していたこともありません。なので、制作や販売のノウハウとかセオリーみたいなことはよくわかっていません。

わからないなりに考えつつ、世の中の「売っているもの」を観察すると、「それ」をどう見せるかも含めて作ることが重要っぽいです。

アイデアを考えているときには、デザインの周りに設定のようなものが浮かんでいます。これはどこにありそうか。誰が使っていそうか。どういう場所から出てきたものに見えるか。そういう「過程で発生したもの」を売っているものの近くに置いたら、見え方が変わるんじゃないかと思いました。

最初は、短いフレーバーテキストのようなものを添えるつもりでした。しかし実際に書いてみると、短くしたらなんか変だし、かといって残すと長くなっていく。そんでまた削ると意味不明。

結局、短い説明ではなく、もう少し長い文章を書くようになりました。
(このあたりの経緯は、以前に別記事で書いています。)[1][2]

テキストを足しても、商品は商品

商品をどう見せるかを模索していたときに作っていたのがOPERATION LEFT[3]です。このプロジェクトは、世界設定をベースにしたエピソードをグッズに付随させる構造にしました。

商品そのものを説明するのではなく、その商品が存在していそうな世界を作る。 エピソードの中に実際のグッズを出して、それを商品と接続する。

この方法は面白かったです。作ること自体が面白いと感じられるのは、継続する上で重要な要素だなぁと感じました。(特に私のような目移りしやすい人間の場合)

やってて面白いし、モノはできていくけど、ちょっと違和感が残ります。どれだけ設定や文章を足しても、場所がショップである以上、そこには「買う」「売る」という前提があります。ショップなので、そんなことは当たり前ですが。

バリバリ商売っ気を出すのはなんかしっくりこない。
売り方に悩むなら、「売る気」を捨てるくらいの気構えの方が楽かもしれん。
それなら、「商品」として並べるより「展示物」として置いたほうがしっくりくるかも。
——違和感を辿っていった結果、そんな考えが浮かびました。

裏方を主役にする

EVERYDAY LABELSでは、日常にある「ラベル」が主役です。ラベルというモチーフは、PODショップスタート時になんとなく選んだものです。

「海外PODは儲かりまっせ」という怪しい副業系情報では、海外向けに日本文化が入ったデザインを作れば爆売れするとのことでした。しかし、あからさまなジャパニーズっぽいデザインはピンとこなかったし、そもそも市場に溢れすぎていて強みがありません。調べていたら、海外デザイナーに日本の緻密なラベルのデザインが評価されている、という情報をキャッチし、これなら被りにくいだろうと、安易に選びました。

で、デザインを作ってグッズを置き、ショップは公開されました。
ここから、先ほどの話——見せ方を考えたり別プロジェクトを作ったりした——につながっていきます。

ぽつんと置いてあるグッズの見せ方をどうするか。

日本のラベル文化を解説・紹介する、論文的なかしこまった文章をくっつけようかと思いましたが、それだけでは面白くありません。それに、ラベル文化の研究なんてまったくの専門外である私がそういう文章を書いても、説得力がありません。どうしたもんかと悩みつつ、別プロジェクト(OPERATION LEFT)のエピソードを作っているときに思いつきました。

これも「架空」にしちゃえばいいんじゃね?

架空の人を作る

そこで、Julian Fenwickという架空の著者を作りました。

英国出身で、日本に長く住んでいる翻訳者。
日用品のラベルや注意書きが気になる、少し変わった人。
40代半ばで、細身でメガネを掛けていて、白いオックスフォードシャツを着ていて、こんなところに住んでいて、趣味はこうで……。
人物像は何の設定根拠もないフィーリングで決めました。たぶんこういう文章を書く人はこんな感じだろうなぁと。

「自分」が書くとなると、自分の中での整合性を無意識に考えてしまいます。これは自分の考えとして正しいのか、こう書くと説明しすぎではないか。でも、「他人」が書いたとなると、いい意味で考えすぎずに書けます。自分がしないような言い回しが出せる。自分なら通り過ぎるところに気付く。自分とは違う考え方が受け入れられる。

自分で書いておきながら、誤字脱字や間違いがあっても「まぁ人間だからしょうがないよね」、と優しい気持ちにもなれます。

ついでに場所も架空化する

Julianという架空の人物ができたことで、その文章を置く場所(ショップ)も架空化したほうが良さげな気がしたので、またまた勢いで、ショップ自体に架空の設定を付与することにしました。

元々は、PODグッズを置くために、なんとなく名前を付けただけの、ただのオンラインショップです。それを、架空のスタジオが運営している展示サイトのように扱うことにしました。

商品は売り物であり、展示物でもある。
テキストは説明文であり、アーカイブの一部でもある。
Julianは著者であり、作品の中の人物でもある。

まったくの無計画でしたが、まぁまぁうまいことハマったような気がします。
面白そうだからとJulianを作り、JulianがいるならStudioAsahiも少し架空化しようと、少しずつ、構造が入れ子になっていきました。

販売物と展示物の間

PODショップとして考えるなら、もっとわかりやすく売ったほうがいいのかと思います。商品の良さ、使い方、価格、購入する理由をキャッチーに伝える。売れる基本を抑える。変にそういうところにアレンジを加えず、セオリーに沿う。守破離的な?

しかし、そのためにSNSを活用したり、広告を打ったりなどの「売るため」の作業はなんだか気が進みません。

とりあえず見てほしい。
できれば読んでほしい。
最悪読まなくても、そこに何かがあることに気づいてほしい。

そういう考えだと、ショップという形より、展示のように見せるほうがしっくりきました。まぁ、見せ方を変えただけで、それが売り物であることは変わっていませんが。

売る場所なのに、売ることだけを目的にしていない。展示物っぽいけど、実際に買える。ちゃんとはっきりさせたほうがいいような気もしますが、その中途半端さが、今の自分にとってはちょうどいい、ということにしておきます。

商売とはなんなのか?

いまさらながら、私は商売に向いていないのかもしれない、と思い始めました。「俺は商売に向いていない」とインタビューで答えるラーメン屋のおっちゃんみたいな感じです。

商売は、綿密なリサーチの元計画を立てて実行し、結果との差を埋めていく、そんなイメージがあります。そういうちゃんとしたビジネス的なものと比べると、私がやっていることはなんだかふわふわしています。

ラベルをモチーフにすること。
読まれない文字を主役にすること。
架空の著者に観察してもらうこと。
ショップを展示室として使うこと。
どれも、最初から計画していたわけではありません。……そういえば、それ以前に「事業計画」が存在していませんでした。

商売の本質とは何なのかを調べると、次のような答えが出てきますが、それらは商売をする側から見た説明であって、商売そのものを指してはいません。
サブスクリプションやフリーミアム、消耗品といったビジネスモデルは、「商売を効率よく続けるための設計図」。
三方良しとか、顧客第一とかそういう心構えは「相手に商売を拒否されないためのマナー」。

では、商売そのものとは何なのか?
「他人の『できない/やらない』を代わりに引き受け、そのお礼として信用やお金を受け取ること」

この言い方だと、実用的なサービスや代行業はイメージしやすいですが、それ以外のことの説明としては少しわかりにくいです。漫画家は読者の代わりに絵を描いているわけではありません。映画監督も、アイドルも、ゲーム制作者も、スポーツ選手も、誰かの作業を肩代わりはしていません。(いや、イメージを具現化することを肩代わりはしているか……)
そういう娯楽系の場合、「現実では体験しきれない世界や感情をつくり、受け手の心を動かす」という表現が近いような。

それらを含めて考えると、商売とは、「人の感情の総量を動かし、その移動距離の対価を受け取る行為」とも言えるのかもしれません。

困っている人を助ける商売は、不便、面倒、痛み、不安を取り除いて、「助かった」「楽になった」という場所まで感情を移動させる。
娯楽やエンタメは、退屈な日常、平坦な時間、何も起きない週末に、ワクワクや感動や興奮や癒やしを発生させる。
喉が渇いている時のペットボトルの水も、休日に一気読みする漫画も、方向は違うけれど、どちらも人の状態を「今とは違う場所」へ動かしている。商売とは価値の交換であり、信用の循環であり、感情の移動でもある。

こう書き出してみたものの、簡単に言葉にできるほど単純なものではなさそうです。商売という言葉には、理屈では割り切れない勘や駆け引き、欲と遠慮、期待と失望、タイミングや運といった、感覚的なものも多分に入り混じっている気がします。

ビジネスモデルや心構えは学ぶことができますが、「商売とは何なのか」という問いの答えは、自分が何かを作って、誰かに差し出して、その反応を受け取るたびに、少しずつ輪郭が見えてくるものなのかもしれません。

結局、商売とは何なのかなんて、まだ始めたばかりのペーペーにはよくわかりませんが、行き当たりばったりで進める方が性に合っているようなので、あまり気にしすぎないようにします。
まだしばらくは、売り物と展示物のあいだをうろうろしながら、見せ方を探っていくことになりそうです。

リンク

脚注

  1. 本文に戻る
  2. 本文に戻る
  3. OPERATION LEFT → 世界構築とショートエピソード群を主体とした別プロジェクト。

    本文に戻る

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