手段と目的が入れ替わるというのは、まぁよくある話なわけですが、それにしても、なぜここまで同じようなことを繰り返すのか、不思議なものです。

なんでも目的主義でやらなければならない、というわけではありません。
時には関係ないところで、思わぬものを得られることがあります。

PKMやセカンドブレインを構築するのは、それを作るのが目的ではなく、その先の「何か」があるはずです。
——趣味でやってる、というパターンは一旦置いといて。
メモを書くのは、メモを書くことが目的ではなく、それに付随して起こる何かを求めているはずです。
DIYで木工作業をするのは、DIYをするのが目的ではなく、棚を作るため。
風呂に入るのは、風呂に入るのが目的ではなく、衛生面を整えるため。
食事をするのは、食事をするのが目的ではなく、栄養補給し心身を維持するため。
こうしてみると、後半になるにつれ、目的主義は面白みのない、あまり良くないものに見えてきます。

なんでこんなことを考えているのか、その目的は、「目的を保持できずに無駄なことばっかしてるような気がうっすらしていたけどそろそろどうにかしたほうがいいんじゃね?」と思い、なぜ余計なことに手を出してしまうのか、その理由を探るためです。
あれだけ、Obsidianは紙のノートのちょっと便利版、と言い聞かせていたのに、気づけばfrontmatterだPARAだ、いやいや純粋なZettelkastenに近いほうがいい、美しく意味のある構造を構築しなければ、などと「システムの構築」そのものに時間を費やしてしまいました。

手段と目的が入れ替わる——あるいは混ざる——のが、人間の本能によるものならば、無理に抗うのは不自然なことなのでしょうか。
手段と目的を意識した方がいいこと……。
手段と目的を気にしない方がいいこと……。
そんな違いを考えている目的は、一体なんなのでしょうか。

そもそも目的なんて人それぞれだから、広い目で見れば手段と目的という分類がおかしいのかもしれません。
とはいえ、そんなこと言ったら元も子もないので、一個人としての目的は持っておいたほうが良いような気がします。
本当は細かいことは考えずに思いつくまま自由にやればいいんだろうけど、無駄な自意識にまみれながら現代社会で生きていくという前提では、なかなかそうもいきません。
いや、「そうもいきません」なんて言ってないで、間違っていたとしても進んでいくことが、案外近道なのかもしれません。

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